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仙台地方裁判所 昭和39年(ワ)710号 判決

原告 斎藤規夫

右訴訟代理人弁護士 斎藤忠昭

同 青木正芳

同 小野寺照東

同 樋口幸子

右訴訟復代理人弁護士 栃倉光

被告 ソニー株式会社

右代表者代表取締役 盛田昭夫

右訴訟代理人弁護士 馬場東作

同 福井忠孝

同 三島保

同 三島卓郎

主文

一、原告が被告に対し、雇用契約上の権利を有することを確認する。

二、被告は原告に対し、金六一三万六、三六三円および昭和四八年九月以降本判決確定に至るまで毎月二五日限り、金八万三、二六三円の割合による金員を支払え。

三、原告のその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用はこれを三分し、その二を被告、その余を原告の負担とする。

五、この判決は第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一、原告

1、原告は被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。

2、被告は原告に対し、金一、〇一九万六、五四四円および昭和四八年九月以降原告が職場に復帰するまで毎月二五日限り金九万八、七〇〇円を支払え。

3、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および第2項につき仮執行の宣言。

二、被告

1、原告の請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決および予備的に仮執行免脱の宣言。

≪以下事実省略≫

理由

一、当事者

被告は、もと東京通信工業株式会社と称したが、昭和三三年一月、その商号をソニー株式会社と変更したもので、肩書住所地に本社を置き、東京都品川区、仙台市、厚木市にそれぞれ工場をもち、トランジスターラジオ等の電気機械の製造販売を業とする会社であること、原告は、昭和三〇年四月一日東京通信工業株式会社に入社して仙台工場に勤務し、右会社の商号変更後も引続き被告会社に雇用されていたものであること、なお原告は、被告会社従業員をもって組織するソニー労組の組合員であり、昭和三六年一一月以降同組合仙台支部執行委員長の地位にあることはいずれも当事者間に争いがない。

二、解雇の意思表示

被告が昭和三七年七月二五日、原告に対し、原告が同月四日、仙台市荒町所在の仙台職安を訪れ、故意に事実を歪曲して会社を誹謗し、同月九日から一六日にかけて宮城県下で行われた被告の厚木工場従業員募集を妨害したとし、その行為が就業規則第五五条第一九号、第二一号に該当することを理由に、同第五七条に基き懲戒解雇の意思表示をし、同時に仙台工場構内への立入を禁止したことは当事者間に争いがない。

三、よって以下右解雇の効力について判断する。

1、本件解雇に至る経緯

(一)  厚木工場における女子試用工二名の本採用拒否

被告が、訴外甲野春子、乙山夏子(結婚後丙村と改姓。)の両名につき精神科医である訴外武田専に診断を行わせたこと、被告が右両名の本採用を拒否したことは当事者間に争いがなく≪証拠省略≫を総合すれば(≪証拠判断省略≫)、以下の事実が認められる。

(1) 前記甲野春子、乙山夏子の両名は、昭和三七年四月一八日被告会社に雇用され、厚木工場で一週間の基礎訓練を受けた後、同工場製造二課でトランジスタ組立工程中の「バー半田付け」と呼ばれる作業に従事していた。両名はいずれも宮城県出身の当時一七才の女子で、仙台職安を介して被告会社に就職したものであり、厚木工場構内にある女子寮の同室に寄宿していた。また両名ともいわゆる試用工として採用されたもので、試用期間は三ヵ月であり、右試用期間中従業員として不適格と判定されない限り、採用後三ヵ月を経過した同年七月一八日以降本採用となり、正規の従業員となるはずであった。

(2) ところで甲野は同年六月四日外出中に腹痛を起し、翌五日になってもこれがおさまらないので、寮母のすすめにより、厚木工場の嘱託医である訴外西村好雄の開業している厚木中央病院に赴き、その診察を受けたが、内科的な原因を発見することができず、病状を観察するため同病院に入院した。同日は廻盲部痛を訴えベットの上をころげまわるので、鎮静剤を注射されて翌朝まで眠り続け、同月六日も食事は殆んどとらず、意味のない笑を見せ診察を拒んだ。同月七日漸く快方に向い食事もし、翌八日ほとんど正常と思われる状態になって退院することを許され、九日(土曜)、一〇日(日曜)と休んで、同月一一日から会社に出勤し、以後普通に作業に従事した。しかし西村医師は内科的原因が発見できなかったところから、精神科医の診察が必要であると判断し、厚木工場診療所の訴外小林吉哉医師、および当時同工場総務課に勤務し、寮の管理に当っていた訴外荒尾雅也にその旨説明し、右荒尾らは甲野に対し精神科医の診察を受けさせることにした。一方乙山は、前記「バー半田付け」の作業所に臨時の従業員が配置されたので、六月一日からICO測定と称し、トランジスタを測定器にかけて、右測定器のブラウン管を通して写る影像を見ながらこれを良品と不良品に判別分類する作業に配置換えされたものであるが、同月中旬頃一度、良品の中に入れるべき断線品を不良品の再生不能の中に混入するというミスを犯し、上司から注意を受けることがあった。また乙山は、作業場において、「エンジニアから本をもらった。」とか「係長とデイトをした。」などと遠慮のないおしゃべりをして、職場のチーフ、訴外中村哲也から注意を受けたこともあった。かかるところ入社選考の際実施したSCT検査の結果が判明し、それによると乙山は分裂気質であることがわかったため、前記荒尾雅也は、乙山の日頃の言動とあわせ考え、前記小林医師と相談の結果、同女についてもやはり精神科医の診察を受けさせることにした。もっとも乙山は六月一八日頭痛のため前記診療所において西村医師の診察を受けたことはあったが、ほかに特に健康上の障害はなかった。

そして六月一九日、会社は精神科専門医の訴外武田専の来診を求め、甲野、乙山両名とほかに従業員三名について同医師の診察を受けさせた。同日両名は就労中突然診療所に呼び出され、なんら理由を告げられることなく、それぞれ約三〇分間にわたり、同医師の問診を受けた。診察が終って、乙山は「少し神経衰弱気味だ。」と言われ、甲野は、「入院したときはヒステリー朦朧状態という一時的なものであった。」と説明され、それぞれ精神安定剤を与えられて作業場に帰った。甲野は作業場で同僚から右の診察をした医者が精神科医であると告げられ、始めて精神科医の診察を受けたことを知り、一方乙山は、問診が終ったときに不審に思って、「なぜこのようなことを聞くのですか。」とたずねたが、はっきりした返事はなく、寮に帰って甲野から教えられてはじめて精神科医の診察を受けたものであることを知った。なお武田医師の診断の結果は、乙山は、「ヒステリー、但し抑うつ状態、恐怖症を加味し、詳しくは混合神経症と考えられる。」というもので、甲野は、「ヒステリー朦朧状態、頭書の疾患により意識朦朧状態を呈したものと考えられる。」というものであった。

(3) その後も両名は引続き勤務を続けていたが、同月二六日両名とも厚木工場総務課長の訴外佐藤清勝から呼出を受け、甲野は、「あなたの病気は精神科の医者もわからない。今の状態で会社にいても病気がだんだん悪くなるし、この会社はあなたに向かないから他の仕事についた方がいいのではないか。」などと言われて退職を勧告され、乙山も、「会社の仕事に不向きであるから本採用は見合せることにした。他の小さな会社で働いた方がいいんじゃないか。」などと言われて退職を勧告された。両名は突然の通告に驚き、前途を悲観して一夜を泣き明かすような状態であったが、甲野は右佐藤の言葉に疑いを持ち、翌二七日厚木中央病院に赴き、前記入院時の診断書を要求したところ、「ヒステリー朦朧状態、右疾患により六月五日より六月八日まで入院、休養安静、加療を要しました。」と記載された西村好雄作成の診断書を交付された。一方乙山は同日荒尾雅也に呼ばれたので、ソニー労組本部書記長の訴外木村信および同組合厚木支部執行委員長の訴外長田弘志を同道し、荒尾に退職勧告理由の説明を求めたところ、「ヒステリー抑うつ症で集団生活に向かないし、この工場にも不適当だから退職してもらう。」旨の説明を受けた。

しかしながら、甲野、乙山の両名は右のような退職勧告の理由に納得できず、さらに他の専門医の精密な診察を受けるため、同月三〇日木村信に連れられて東京都立松沢病院に赴き、訴外峰矢英彦医師の診察を受けた。同医師は右両名に対し、問診のほか脳波描記、ロールシャッハテストなどの検査を約三時間にわたって行い、その結果両名とも、「とくに精神障害は認めず、現在集団生活を不可能にするような精神異常は認められない。」と診断し、両名は同年七月二日その旨記載された同医師作成の診断書を受け取った。

(4) 右両名は前記退職勧告後も従前どおり作業に従事していたが、会社は同年六月二八日、前記佐藤総務課長名義で、右両名の父親に宛て、「専門医の診察の結果、ご息女はヒステリー症の抑うつ病であることがわかり、団体生活に最も適さないので本採用を見合せることに決定し、近日中に郷里に帰します。なおご息女の病気は決してなおらないものではなく、静かな環境の中で精神的におちついた生活をして治療すれば治るということです。」という趣旨の手紙を出し、同年七月一八日をもって甲野、乙山の両名は解雇された。

≪証拠判断省略≫

(二)  右本採用拒否問題に対するソニー労組の動向

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

ソニー労組厚木支部の執行委員訴外高山は、昭和三七年六月二六日、乙山が意気消沈しているのを目にとめて声をかけたところ、乙山が会社から退職勧告を受けている旨聞かされたので、右高山は同日この事実をソニー労組本部に連絡した。翌二七日ソニー労組本部の書記長木村信は甲野、乙山の両名に会って直接事情を聞き、また乙山とともに前記荒尾雅也に面会して退職勧告の理由を糺したところ、会社は精神病を理由として甲野、乙山の両名を解雇しようとしているものと考えられた。しかしながら、右のような解雇理由に組合としても不審を抱き、前記のとおり右両名につき松沢病院で精神科専門医の診察を求めたところ、何ら精神障害は認められないとの診断が為された。そこでソニー労組本部では中央執行委員長の訴外重枝忠典をはじめ役員会で、この問題を検討した結果、精神障害を理由に解雇しようとしている会社の措置は人権侵害であると判断し、労働基準監督署、公共職業安定所等に右事実を申告するとともに、法務局の人権擁護課に人権侵害救済の申立を行い、また他の労働組合等に実情を訴えるなどして両名の解雇撤回闘争をすすめ、さらに両名の家族にも実情を伝えてその協力を得ることなどの活動方針を決定した。

同年七月四日、前記木村書記長は右決定に従い、ソニー労組仙台支部に電話を入れ、同支部の書記長訴外神位裕に対し、「厚木工場で試用期間中の二名の女子従業員が精神異常を理由に本採用にしないとして退職勧告を受けているが、両名は他の専門医の診察を受けた結果異常はないということである。両名は仙台職安の紹介で採用されたものであるから、右の事実を同職安に申告するとともに、この問題について職安としてどのような措置をとることができるか調査してもらいたい。また右は人権問題であるから職安の労働組合をはじめ、他の労働組合にも訴えること、なお両名の親戚にあたるものが仙台職安に勤務しているから同人に右の事実を告げ、さらに両名の家族にも実情を伝えて、組合の活動方針に対し家族の了解と援護を得られるよう努めてほしい。」という趣旨の連絡をした。仙台支部では先きに組合本部から送られてきたソニー労組情宣部発行の六月三〇日付ビラにより厚木工場において新入社員に対する退職勧告の問題があることを知っていたが、さらに右電話連絡を受け、執行委員長の原告と前記神位裕および執行委員の訴外伊藤三郎の三名で話し合った結果、本部の指令に従い行動するため、当日午後から原告が仙台職安に行くことになった。

なお前記六月三〇日付ビラは半紙大のもので、「首切、配転、処分、活動干渉、厚木に大がかりな弾圧始まる」という大見出しと「活動をやめねば処分する」「親まで呼びつけて」「いやなら業務命令違反」「新入社員に退職を強要」「ひとごとではない」という小見出しのもとに、厚木工場において会社から組合に対し種々不当な攻撃が加えられている旨を訴えたものであるが、その中の、「新入社員に退職を強要」という小見出しの部分には、「去る六月二六日佐藤総務課長は二名の新入社員を呼び出し、『精神科の医師の診断によると、あなたは集団生活に適さない。だからやめてもらう。』と言って退職を迫った。ところが、その医師の診断というのがデタラメで、二二日に二人に対し、『食欲はどうか。』『ねむれるか。』『夢はみないか。』などいくつかの質問をしたにすぎず、その結果だというのである。他の一名は仕事中横を向くからという理由である。」と書かれてあった。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(三)  仙台職安における原告の言動

原告が、昭和三七年七月四日仙台職安において、訴外中目英男、浦山重幸、中山真吉に、前記六月三〇日付ビラを示して、同人らと面談したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

原告は、同日午後仙台職安を訪ね、最初に同所労働課の日雇労働者紹介係で前記甲野春子の遠縁に当る前記中目英男に会い、六月三〇日付ビラを示し、「厚木工場に勤務している二人の女子従業員が精神病を理由に解雇されようとしており、その一人は甲野春子であるが、別の医者に診察してもらったところ異常はなかったから安心してもらいたい。組合としても両名が解雇されないように支援している。」などと話した。そして原告が、中目に対し、「職安の方でこのことを知っているだろうか。」と尋ねたところ、中目は同職安職業課の職業紹介係長をしている前記浦山重幸のところへ原告を案内した。そこで原告は浦山に対しても、「会社ではこんなことをしている。」などと言いながら、右ビラを示し、まず厚木工場における労使関係が紛糾している様子を説明し、さらに、「仙台職安の紹介で被告会社に就職した女子従業員二名が精神病を理由に解雇されようとしている。しかし、組合として右両名を別の専門医に調べてもらったら全く異常はなかった。これは会社が医者とグルになって精神鑑定を含んだ健康診断を行い、組合意識の強い者は本採用にしないようにしているのだ。」という趣旨のことを話し、「ソニー労組としてはこれは人権問題であるとして取扱うことになっているが、職安ではこういう問題があるとき、どのようなことをしてくれるのか。」と尋ねた。浦山は、「それは事実とすれば社会的にも由々しい問題だ。」「今月一六日ソニーの採用試験があり、本社から選考員が来るから、その際事情を聞いてみましょう。」などと答えた。原告は約一〇分ないし二〇分浦山と面談してその場を辞去し、中目とともに部屋を出たところ、かねて知り合いの全労働宮城職安支部長の前記中山真吉に会い、同人に対しても右ビラを示し、中目や浦山に話したと同様のことを話し、中山からは、「全労働は全労働として討議してみる。」との返答を得、一〇分ほど同人と話し合って職安を出た。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

ところで被告は、「職業安定法第二〇条によれば、職業安定所は労働争議に介入しないという趣旨で、同盟罷業又は作業所閉鎖の行われている場合又は労働委員会から特別の通告があった場合には求職者の紹介はしてはならないものであるところ、原告は浦山係長に対し、『被告会社厚木工場では争議中である。』旨述べたものである。」と主張し、≪証拠省略≫には右主張に副う部分があるけれども、右は≪証拠省略≫に照らしてにわかに措信し難く、他に右被告主張事実を認めるにたりる証拠はない。かえって、右各証拠によれば、原告は浦山に対し、当時厚木工場においては労使の主張が鋭く対立し、互いに激しい攻防を展開している旨述べたにすぎないことが窺われるのである。

(四)  その後の労使の動きと原告に対する解雇通告

≪証拠省略≫によれば以下の事実が認められる。

(1) 原告は仙台職安に行った三日後の七月七日、組合本部の前記指示に従い、甲野、乙山両名の実家を訪ね、両名が退職勧告を受けている問題に関し、会社の態度や組合の活動について説明し、組合の立場に支援と了解を求めた。またソニー労組仙台支部は、同月一〇日仙台工場において教宣部発行のビラを配布し、前記六月三〇日付組合本部発行のビラと同様、会社から厚木支部に対し種々不当な攻撃が加えられている旨訴えるとともに、甲野、乙山両名の問題については、職安に会社の実態を話して就職を進めないようにしている旨、またこれを人権擁護委員会に提訴することになった旨報道した。

一方全労働では七月六日、七日の両日、宮城県玉造郡鳴子町において、県内の職安支部と基準局支部が合同するため、右の各支部の解散大会と宮城県支部の結成大会が開かれたが、右職安支部の解散大会において、前記中山真吉から、「被告会社厚木工場において精神異常であることを理由に不当解雇が為されているが、職安の労働組合としてどのように対処すべきか。」という報告ならびに提案が為されたが、右提案については時間の関係で討論、決議するには至らなかった。

(2) ところで被告会社では、昭和三七年五月マイクロテレビの製造販売に踏み切り、その心臓部にあたるトランジスタの製造を担当する厚木工場の女子従業員増強のため、宮城県下においてこれを募集していたものであるが、仙台職安に対しても求人申込をし、その採用試験が同年七月一六日に予定されていた。これに先立ち厚木工場労務係長の訴外一条志郎は七月六日、就職申込状況を知るため、仙台職安を訪ずれたが、その際同人は同職安の職員から、「お宅は争議中だと聞いているが本当か。」「お宅では不当解雇をやっているそうだが。」などと質問され、同日仙台工場労務係長の訴外海子邦男と再び仙台職安を訪れたときも、前記浦山から、「原告が持ってきた組合ニュースからすると貴社ではだいぶ激烈な争議が行われているらしいがどうか。」などと尋ねられた。一条はその日宮城県職業安定課に赴き、右浦山らから尋ねられたことがらについて事実を確かめようとしたが、同職業安定課には何ら情報は入っていないということであった。その後一条は、迫、築館、古川、石巻、塩釜など各地の職安を回って七月一四日仙台に戻り、同日前記海子とともに再び浦山を訪ねたが、二人が浦山と面談していた際、仙台職安調査課に勤務し、全労働宮城支部仙台職安分会長を務める訴外佐藤雅夫から浦山に電話があり、「採用試験当日、選考員として来るソニー株式会社の者に会いたいから取次いでもらいたい。また当日応募した者は右選考員に渡さず、一時一ヵ所に集めて欲しい。」旨の申し入れがあった。浦山はこの申し入れを断ったが、右佐藤雅夫は、一条および海子に直接面会し、「全労働として、厚木工場の女子従業員に対する退職勧告の問題について事情を聞きたいから全労働の役員と会ってもらいたい。」旨申し込み、採用試験当日の七月一六日、全労働と被告会社との間で話し合いが持たれることになった。そして一六日午前九時頃から三〇分ないし一時間、仙台職安において全労働側の宮城支部執行委員長永沢芳男外二名と会社側の一条志郎外一名との間で話し合いが行われたが、右会談は、全労働側が前記六月三〇日付ビラを示し、「被告会社では不当な退職勧告が行われているのではないか。」と糺したのに対し、会社側がこれを否定するということで終った。その日被告会社の採用試験は午前一〇時頃から開始され、ほぼ予定通りに終了した。なお、同月九日から一八日にかけて宮城県下で行われた被告会社の従業員募集は、結局四三名の応募者があり、うち一六、七名が採用となった。

(3) 右採用試験翌日の一七日、被告会社仙台工場では、工場長の訴外高崎晃昇らが原告を招致して査問委員会を開き、同月四日仙台職安における原告の言動について釈明を求めた。原告はただ本部からの指令に基いて行動したものである旨答えただけだったので、翌一八日、本社では常務取締役樋口晃らがソニー労組の前記重枝正典中央執行委員長を招致して事情を聴取したところ、同委員長は、「職安に行き組合関係を通じて事情を訴えるということは言ってある。会社の業務を妨害しろという指令はしていない。」などと述べた。また同月二一日には前記海子係長外一名が原告の言動について調査するため仙台職安に赴き、全労働の永沢委員長らに会って事情を聴取した。ついで同月二三日、二四日の両日、仙台工場において会社側三名、従業員側三名が出席して懲罰委員会が開かれ、翌二五日、会社は原告を懲戒解雇に処することを決定し、その旨原告に対し意思表示をした。

(4) なお、厚木工場において本採用を拒否された前記甲野、乙山の両名は、従業員としての地位保全等を求めて横浜地方裁判所小田原支部に仮処分を申請し、甲野はその後右申請を取下げたが、乙山の申請につき同裁判所は、昭和三九年五月二七日、判決を言渡し、会社の乙山に対する本採用拒否は権利の濫用であるから無効であるとして、乙山の会社に対する労働契約上の権利を有する地位を仮に定め、賃金仮払の請求についてもほぼこれを認容した。会社はこれを不服として東京高等裁判所、最高裁判所にそれぞれ控訴、上告したが、いずれも棄却された。乙山は右仮処分の本案訴訟第一審においても同様勝訴し、会社は東京高等裁判所に控訴したが、右控訴審係属中の昭和四六年一二月一七日会社とソニー労組との間に協定が成立し、会社は乙山に対する本採用拒否の意思表示を取消し、乙山は右協定成立の日をもって会社を依願退職することとなり、同時に会社からソニー労組に対し、乙山および他の従業員一名に対する解雇事件の解決金として金六五〇万円が支払われ、乙山は東京高等裁判所に係属中の前記訴訟を取下げた。

また甲野、乙山の両名は、人権を侵害されたとして横浜地方法務局人権擁護課に救済の申立をしていたが、同法務局は昭和四〇年三月三〇日人権侵害の事実は認められないとして、「非該当」の処分をした。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

2  原告の行為が懲戒解雇事由に該当するか否かについて

(一)  ≪証拠省略≫によれば被告会社仙台工場の就業規則には、第五五条に、「従業員が次の各号の一に該当するときは懲罰委員会に諮問のうえ処罰する。」とし、第一九号に、「会社の体面を汚した者」、第二一号に、「正当な理由又は手続なく著しく会社の業務に支障を与えた者」、第二三号に、「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為のあった者」と規定され、また同規則第五七条には、「処罰はその程度に応じて次の四種とする。」とし、「(1)譴責、(2)減給、(3)出勤停止、(4)懲戒解雇」と規定されていることが認められるところ、被告は、「原告は、故意又は過失により虚偽の事実を仙台職安の関係者に申告又は流布し、会社の求人業務を妨害したか、妨害しようとし、もしくは会社の信用、名誉を毀損したか、しようとしたもので、右の行為は前記就業規則第一九号、第二一号、第二三号に該当する。」旨主張する。

(二)  思うに営利を目的とする会社が事業の運営ないし会社の存立を図るために、企業秩序、職場秩序を維持することはもとより、会社の名誉、信用、その他相当の社会的評価を維持する必要のあることは当然であるから、これに対する違反者に対し、会社が制裁として何らかの不利益を課することはこれを是認しなければならないが、懲戒解雇が従業員に対して不利益を与える最大の懲戒処分であり、それが従業員を企業から排除する処分であることに鑑みれば、従業員を懲戒解雇するについては、従業員に企業から排除されても止むを得ないと認められるような非違行為がある場合でなければならないことは当然といわなければならない。

このような観点から前記懲戒規定を適用して懲戒解雇をなし得る場合を考えれば、第一九号の「会社の体面を汚した者」とは会社の名誉、信用その他会社の社会的評価を著しく毀損し、その評価に相当重大な悪影響を与えた者を指し、第二一号の「著しく会社の業務に支障を与えた者」とは、会社の業務の運営に相当重大な影響を与えた者を指し、また第二三号の「その他各号に準ずる程度の不都合な行為があったもの」とは、第一号から第二二号までの各号には該当しないが、これと同程度の、つまり従業員が企業から排除されても止むを得ないと認められる程度の経営秩序、職場秩序違反等の非違行為をなしたものをいうものと解すべきである。

しかして従業員の行為が右事由に該当するか否かを判断するに当っては、当該行為の性質、情状のほか、会社の事業の種類、規模、会社の経済界に占める地位及び従業員の会社における地位、職種等諸般の事情を綜合的に勘案してこれを評価判断すべきものというべきである。

(三)  よって、以下原告の言動が懲戒解雇事由に該当するか否かについて判断するに、

(1) 甲野、乙山両名に対する退職勧告の事実を知ったソニー労組が会社の措置は人権侵害であると判断し、右事実を職業安定所等の関係機関に申告するとともに、その不当性を他の労働組合にも訴えることを決定し、本部からの電話連絡を受けた仙台支部では執行部で討議した結果、本部の右決定に従い行動することになり、支部執行委員長である原告がその日のうちに本部発行のビラを携えて仙台職安を訪れ、前記のような言動をなしたことは前記認定のとおりである。

(2) ところで原告の仙台職安における右発言中「会社は組合意識の強い者を本採用にしない。」という点については、かような事実を認め難く、また、「会社が医者とグルになって精神鑑定を含んだ健康診断を行った。」という点についても、これを認めるに足る証拠がなく、また原告がソニー労組情宣部発行の六月三〇日付ビラを示しながら、「会社ではこのようなことをしている。」と述べた点については、原告は、厚木工場において会社から組合に対し種々不当な攻撃を加えられており、甲野、乙山両名に対する退職勧告もその一環であることを述べた趣旨と解されるところ、前記のとおり、甲野、乙山の両名は当時組合に加入しておらず、また組合意識が強い故に本採用を拒否されたものとも断じ難いのであるから、これらの事実からすれば、右退職勧告が組合の弱体化を意図してなされたものとは認め難いところである。

しかしながら、右発言がなされた当時の厚木工場における労使関係についてみるに、≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

ソニー労組は、昭和三七年三月一三日賃金引上の要求を会社に提出し、同月一〇日にはスト権を確立したが、右賃上要求と同年五月一〇日会社側から提案された交替勤務者の賃上案およびこれに関する就業規則変更の申入れをめぐって、労使の主張が鋭く対立し、厚木支部においては、組合員が工場の内外に多数のビラを貼付し、休憩時間中又は就業開始前許可なく職場集会を開催し、あるいは組合歌を高唱しながら構内デモなどを繰返した。これに対し会社は、就業規則に違反するとして再三にわたり警告を発するとともに、厚木工場の訴外小林茂工場長は同年四月中旬全従業員をホールに集めて演説し、「幹部はウソを言って皆を従わせている。旧軍部と同じた。ビラ貼り、無断職場集会、無断構内デモは正当な争議議行為とはいえない。皆は自分でよく考えてほしい。」などと述べた。また同年六月七日交渉が妥結した後も、会社管理職が組合員を個別に応接間などに呼び出し、春闘中の行為が処罰の対象になる旨述べ、また前記小林工場長は組合員二〇名ないし三〇名の親元に対し書簡を送り、その中で、「先般、当社と労働組合との賃金交渉に際しまして、大多数がなにもない状態であったにもかかわらず、ごく一部の従業員の不法行為があり、ご子息がその中心のひとりとして行動したという不幸な事態が発生いたしました。この行為に対しましては、当工場として規律保持のため、処罰せざるを得ない次第でございます。この行為は特定政党の糸につながるものと推測せられ、ご子息は知らずしてこれにおどらされているとみられ……云々」と述べた。ソニー労組はこれら一連の会社の措置に対し、組合の連営に対する支配介入であるとして強く反発し、激しく会社を非難攻撃していた。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

右のとおり、当時厚木工場においては昭和三七年春闘での対立が尾を引き労使はなお熾烈な攻防を展開していたことが認められ、また≪証拠省略≫によれば、会社は後に、東京都労働委員会において、「昭和三七年春闘に際し、工場長、工場職制らが厚木工場の組合員に対し、懲戒処分を行うなどと言って組合活動を断念させようとしたことは組合の運営に支配介入したものである。」として不当労働行為の認定を受けたことも認められるのであって、甲野、乙山の両名に対する退職勧告が以上のような労使の緊張状態の中で発生した問題であったこと、しかも≪証拠省略≫によれば、従来被告会社において試用期間満了の際本採用とならなかったケースはほとんどなかったものと認められること、これらの事実および前認定のとおり、右退職勧告が精神障害を理由とするものであったのに組合として専門医の診察を求めたところ、精神障害は認められないとの診断があったこと、乙山については果して会社が精神科医の診察を受けさせなければならないような客観的状況があったものか否か疑問であること、被告会社においては、武田医師の診断が出た後の措置に、従業員の健康管理の面からの配慮を欠いた憾みがあること、また武田医師は両名が一過性の単なるヒステリー状態を診断したにすぎないのに会社はこれを精神病として扱っていたことなどの事実によれば、原告が、右両名に対する退職勧告に会社の不当な意図を疑い、会社がことさら精神障害に藉口して不当な解雇を強行しようとしているものと考え、当時の状況から右解雇が組合攻撃の一環であると信じ、前記のような発言をしたことも相当な理由があるものといわなければならない。

(3) また原告が仙台職安を訪ねて前記のような言動をなした目的についてみるに、前認定のとおり、ソニー労組本部においては、甲野、乙山両名に対する退職勧告の不当性を関係機関に訴え、その撤回闘争を進めていたこと、原告が仙台職安に赴いたのも、右本部の指示によるものであること、同職安における原告の言動も、ほとんど右退職勧告の不当性を訴えることに終始していることなどの事実が認められ、これらの事実によれば、原告が仙台職安に赴いた目的は、会社の甲野、乙山両名に対する退職勧告を撤回させて両名の本採用を実現するため、職安の関係者に不当な解雇が行われようとしている事実を申告し、その善処方を要望するとともに、職安関係の労働組合にも右事実を申告して支援を呼びかけることにあったものと認められる。

もっとも、≪証拠省略≫によれば、原告は当時会社が仙台職安において従業員募集を行っており、近くその採用試験が行われることを知っていたものと認められ、またソニー労組仙台支部が昭和三七年七月一〇日に配布した数宣部発行のビラには、「又職安にも会社の実態をお話し、就職をすすめないようにしております。」との記載があったことは≪証拠省略≫によって明らかであるが、≪証拠省略≫によれば、原告が同年七月四日職安で前記浦山重幸、中山真吉らと面談した際には、右従業員募集に関する事柄については全く言及していないし、その後原告は会社の採用試験が行われた同月一六日まで一度も右職安を訪れておらず、その間、会社の従業員募集を妨害するような原告自身の行動は全然ないことが認められ、なお≪証拠省略≫によれば右数宣部発行のビラの作成に原告は関与していないものであることも認められるのであって、これらの事実に照らせば、前記のとおり原告が従業員募集の事実を知っていたことや前記七月一〇日付ビラが配布されたことによっても、原告に求人業務妨害の意図があったものとはただちに認めがたい。また前認定の事実および≪証拠省略≫によれば、七月六日、七日に行われた全労働宮城支部の組合大会において、被告会社厚木工場において不当な退職勧告が行われている旨報告が為され、職業安定所の組合としてどのように対処すべきかという提案が為されたこと、その後採用試験のため宮城県内各地の職安に赴いた前記一条志郎がその職員から右退職勧告とそれに関連する事実について種々質問されたこと、同月一四日全労働宮城支部職安分会長佐藤雅夫から、浦山職業紹介係長に対し、「採用試験当日、選考員としてくるソニー株式会社の者に会いたいから取次いでもらいたい。また当日応募した者は右選考員に渡さず、一時一ヶ所に集めて欲しい。」旨の電話による申入れがあったこと、そして採用試験当日の同月一六日、全労働の関係者と一条志郎との間で話し合いが行われたことなどの事実が認められるが、≪証拠省略≫によれば、これらの事実はいずれも全労働が職業安定所の労働組合として、前記退職勧告問題に対し、自主的に開始した行動であることが認められるのであって、これらの事実によっても原告の仙台職安における言動が会社の求人業務を妨害する意図のもとに為されたものと認めることはできず、ほかに原告の不当な意図を認めるに足る証拠はない。

そして、職業安定法第四八条は「行政庁は必要があると認めるときは、労働者を雇用する者から労働者の雇入れ、又は離職の状況、賃金その他の労働条件等職業安定に関し、必要な報告をさせることができる。」と規定し、また同法第五四条は「労働大臣は労働者の雇入方法を改善し、及び労働力を事業に定着させることによって生産の能率を向上させることについて工場、事業場等を指導することができる。」と規定している(なお、昭和三七年当時同法第一六条第二項には公共職業安定所は必要があると認めるときは、求人者に対し、その求人数、労働条件、その他求人について指導することができる。」との規定もあった。)のであるから、労働組合が労働条件の維持改善のためこれに関する使用者の措置について、これを職業安定所に申告し、右の如き権限の発動を促すことは当然組合活動として行いうることであると解されるし、また労働組合がその利益を守り、目的を貫徹するため、単に企業内で活動するのみならず、他の労働組合にも支援を呼びかけ、これに対して宣伝活動をすることも、等しく労働者の経済的地位の向上を目的とする労働組合の許されるところというべきであるから、原告が前記のように仙台職安において善処方を促し、また他の労働組合に支援を求めたからといって、これをもって直ちに原告に会社の求人業務を妨害する意図その他不当な意図があったものとはいえないし、また原告の言動が求人その他の業務妨害行為に当るということもできない。

(4) 被告は、原告の言動によって、現実に会社の求人業務は支障を来し、昭和三七年七月に行った厚木工場関係の従業員募集において、応募者は予想を下回り、採用し得た人員も著しく低い結果にとどまったと主張する。しかしながら、前認定の事実と≪証拠省略≫によれば、採用試験のため職安に赴いた前記一条志郎が、宮城県内各地の職安で職員から厚木工場における労使の紛争について質問され、また仙台職安において全労働の関係者から会見を申し込まれて採用試験の日にこれと面談したことなどの事態はあったが、結局採用試験は予定どおり行われたこと、また≪証拠省略≫によれば、仙台職安においては、公式の機関から正式な連絡がない限り、原告から前記のような発言があったからといってそれだけで会社への求人業務を中止するようなことは考えていなかったものであることが認められ、しかも前記認定の応募人員や採用人員が客観的に著しく低い結果であったことを認めるに足る証拠はないし、かりに右人員が被告の予想を下回るものであったとしても、それが原告の言動が原因であったことについてはなんらこれを認むべき証拠はない。≪証拠判断省略≫

(四)  以上認定した事実を総合すれば、原告の仙台職安における発言中には、一部真実にそぐわない点もあったが、その言動は、ソニー労組本部の指令に基づき、甲野、乙山両名に対する会社の退職勧告を撤回させるため、右退職勧告の不当性を同職安に申告し、その善処方を要望すると共に同職安の労働組合にもその不当性を訴えて支援を要請するにあったもので、会社の求人業務を妨害したりその他不当の目的でなされたものであることはもとより、原告の右言動によって会社の求人業務が妨害された事実も認められないし、また以上認定の事実に被告会社が電気機械の製造販売を業とする大手の会社であること等を勘案すれば、原告のなした本件言動の程度では、被告会社の企業としての社会的信用等に全く影響がなかったとはいえないにしても、これによって被告会社の名誉、信用その他の社会的評価が著しく毀損され低下したものとは認められず、他に原告の本件言動が被告会社の従業員として企業から排除されても止むを得ない程度の経営秩序、職場秩序違反等の非違行為に該るものとも認められないから、原告に就業規則第五五条第一九号、第二一号、第二三号に該当する懲戒解雇事由があるとする被告の主張は理由がなく、結局本件懲戒解雇は懲戒解雇に該当する事由がないのになされたもので無効なものといわなければならない。

四、賃金請求権について

1、本件解雇当時、原告は毎月金一万六、一〇〇円の賃金を得ていたこと、被告会社と原告の所属するソニー労組との間で賃上げ、家族手当、一時金について別表(一)ないし(三)記載のとおりの協定が締結されたこと、被告会社の給与計算の締切日が毎月一五日であることについては当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四〇年三月一四日結婚し、昭和四一年五月四日第一子が出生し、昭和四五年七月四日第二子が出生したこと、被告会社の給与支給日は毎月二五日であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

原告は右協定のほかに昭和四三年三月一五日以降被告の申入れにより一六・六七%の加算が行われた旨主張するが、原告に対し右のような意思表示がなされたことを肯認するに足る証拠はない。

なお被告は原告の昭和四七年一月一四日付準備書面による請求の拡張部分についてなされた請求原因の追加的主張は時機に遅れた攻撃方法であるから却下を求める旨主張するけれども、右は請求の追加的変更であって、単なる攻撃方法の主張ではないから、被告の右主張はこの点において採用できない。

2、ところで、≪証拠省略≫によると、右の各協定は被告会社の従業員で、ソニー労組の組合員である者に適用されるものであるところ、本件において原告に対する懲戒解雇が無効であることは既に認定判断したとおりであるから、原告は引続き被告会社の従業員たる地位を有するものであり、また原告がソニー労組の組合員であることはさきに認定のとおりであるから、右の賃上(昇給)等に関する協定はすべて原告にも適用されるものといわなければならない。

もっとも、≪証拠省略≫によると、原告の本件解雇を廻り、原告と被告との間で係争中の昭和四〇年に、ソニー労組が同年度の賃上あるいは一時金支給の要求に際し、原告についても賃上等の要求を出したのに対し、被告会社がこれを拒否したことが認められるけれども、このことは、当時被告会社が原告に関する組合の賃上要求を拒否したというに止まり、それだけで組合と被告会社との間に、原告に対する本件懲戒解雇が無効であって、原告が被告会社の従業員たる地位を保有する旨の判断がなされた場合にも前記各協定の適用から原告を除外する旨の合意がなされたものとは解されないから、右事実の故に前記の各協定が原告に適用されないものということはできない。

3、しかして≪証拠省略≫の各協定書の内容によると、これらの協定によって定められた昇給、一時金のうち、少なくとも一律に一定額及び一定率によって支給される分並に家族手当の増額分は、使用者の個別的な意思表示がなくとも右協定によって当然増額せられる性質のものと解されるが、その余の分は使用者の個別的な意思表示をまって始めて従業員に増額分の請求が発生する性質のものと解されるから、使用者の意思表示がない以上、右の分については請求権が発生しないものといわなければならない。

4、被告は家族手当について、扶養家族が生じたことだけで当然請求できるものではなく、要件を充足し、かつ使用者が定めた手続を履践した者に対してのみ支給されるものであると主張し、≪証拠省略≫によれば被告会社において家族手当は家族届を勤労部ないし総務部に提出して請求することになっていることが認められるが、家族手当は被告会社と原告の所属するソニー労組との間の協定に基き、原告にその対象となる扶養家族が生じれば当然に請求し得べきもので、右の家族届の提出のごときは単にその支給手続を定めたにすぎないものと解すべきであり、ほかに原告の家族手当の請求が要件を欠いていることを認めるに足る証拠はないから被告の右主張は理由がない。

5、そうすると、原告が本件解雇当時支給を受けていた金一万六、一〇〇円の賃金は、その後の前記協定の成立に併い、各協定において定められた昇給、一時金のうち、一定額及び一定率分についてはそれぞれその実施の月から当然増額され、また前記認定のとおりの原告の結婚、子女の出生に伴い、その協定に定められた額の家族手当を請求する権利を有するものというべきであるが、その余の分については、原告に対する被告の個別的意思表示が認められない以上、原告が右の分について別個の原因に基いて右金額の請求をなし得るか否かは別として、賃金あるいは一時金としてはこれを請求する権利を有するものではないから、原告の本訴請求中右の分の支払を求める部分はこの点において理由がないものといわなければならない。

そうすると、原告が昭和三七年八月以降の分として有する賃金等の金額は、別表(五)のとおりの金額となるものである。

6、被告の時効の抗弁について検討するに、労働基準法第一一五条によれば賃金等の請求権は二年間これを行わないときは時効によって消滅するものであるところ、まず昭和三八年八月以降の基本賃金の支払を求める部分は、本件訴の提起された昭和三九年一二月四日に請求の為されたものであることが記録上明らかである。被告は、本件訴状においては具体的に請求原因が明示されておらず、これによっては時効中断の効力は生じないと主張するが、本件訴状によれば、原告は、解雇後昭和三九年一一月までの基本賃金合計額が金五一万六、七八六円となること、同年一二月以降の基本賃金は毎月二万一、二〇〇円となることを主張しており、右主張によって訴訟物は特定されていることが認められるから被告の右主張は採用しない。そうすると、昭和三九年一二月四日より二年前すなわち昭和三七年一二月四日以降に履行期の到来した基本賃金については本件訴の提起によって時効の進行は中断されたものというべきであるが、これより前にすでに履行期にある基本賃金は時効により消滅したものと言わなければならない。

従って原告の本訴請求中昭和三七年八月から同年一一月まで毎月金一万六、一〇〇円の割合による基本賃金の支払を求める部分は理由がないものと言わざるを得ない。

次に家族手当については昭和四七年一月一四日付準備書面において始めて請求が為されたのであるが、記録によれば右準備書面が裁判所に提出されたのは昭和四七年一月一四日であることが認められるから、昭和四五年一月一四日以降に履行期の到来した家族手当については、右準備書面によって時効は中断されたものと言うべきであるが、これより前にすでに履行期にある家族手当については時効により消滅したものと言わなければならない。

従って、原告の本訴請求中、昭和四〇年三月以降昭和四四年一二月までの配偶者手当、昭和四一年五月以降昭和四四年一二月までの第一子手当の各支払を求める部分はいずれも理由がないものと言わざるを得ない。

なお原告は、雇用契約上の地位確認の訴によって、雇用契約の存在を前提とする基本賃金、家族手当、一時金等の債権の消滅時効は中断されると主張するが、地位確認の訴と賃金請求の訴とは訴訟物は別個であるし、当事者の意思解釈としても通常地位確認の訴に賃金請求の意思表示が含まれるとは為し難いから原告の右主張は採用しない。

7、被告は、原告は解雇期間中多賀城市会議員として報酬を得たのであるから、平均賃金の四割の限度で右利得金を控除すべきであると主張し、≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四二年五月一日以降宮城郡多賀城町町会議員(その後市制がしかれてからは多賀城市市会議員)の職にあり、

昭和四二年五月一日から昭和四三年四月三〇日まで金二三万七、九五〇円

昭和四三年五月一日から昭和四四年四月三〇日まで金三一万八、〇〇〇円

昭和四四年五月一日から昭和四五年四月三〇日まで金三五万六、二〇〇円

昭和四五年五月一日から昭和四六年四月三〇日まで金四〇万五、五〇〇円

昭和四六年五月一日から昭和四六年六月三〇日まで金八万七、〇〇〇円

昭和四六年七月一日から昭和四六年一二月三一日まで金二三万四、八〇〇円

昭和四七年一月一日から昭和四七年一月三一日まで金五万円

の報酬および期末手当を得ていたことが認められる。しかしながら、≪証拠省略≫によれば被告会社仙台工場就業規則第二五条には、「次の各号の一の事由により従業員がやむを得ず欠勤、遅刻、早退又は外出する場合に、所定の手続により、会社の承認を得たときは会社はこれを出勤したものとみなす、但しこの際の賃金計算は給与規則に定める。」とし、第(2)号に、「選挙権その他公民としての権利を行使し、又は公の職務を執行するとき。」と規定し、同規則第三六条は、「下記に該当する場合は、不就労手当を支給する。」とし、第(5)号に、「第二五条第(1)ないし(6)号に該当する場合および同条第(9)号に該当する場合で、会社が必要と認める時。」と規定しており、一般に従業員は、市会議員としての職務を行うため会社を欠勤したときでも出勤扱いを受けあるいは給与を支給され得ることが認められ、原告が議員として受ける歳費は、解雇がなくても当然取得し得る収入であって、被告に対する労務の提供を免れたことにより得た利益とは為し難く、民法第五三六条第二項但書は適用にならないものと言わなければならない。被告の右主張は理由がない。

8、そこで原告の請求し得べき賃金等を算定すると、昭和四八年八月までの分は、別紙(五)の合計から右時効消滅分を差引いた合計金六一三万六、三六三円となり、また昭和四八年九月以降の給与は、毎月、基本賃金七万三、二六三円、配偶者手当六、〇〇〇円、第一子手当二、〇〇〇円、第二子手当二、〇〇〇円の合計金八万三、二六三円となるところ、原告は職場に復帰するまで将来の賃金額の給付を求めているが、本判決が確定して原告が被告の従業員たる地位が定まれば、その時において被告の任意の履行を十分期待できるし、その可能性もあるのであるから、本判決確定の日の翌日以後の分についてまで現在において将来の給付請求を認める必要性がないものと言わなければならない。

五、なお被告は本訴請求が信義則に違反すると主張するが、前記のとおり原告が査問委員会において、組合本部の指令に基いて行動したものである旨述べ、ほかになんら弁解をせず、その後本訴請求に及んだことをもって信義則に違反するものとは言えないし、ほかに信義則違反の事実を認めるに足る証拠はない。

六、以上の次第で、原告の本訴請求は、被告に対し雇用契約上の権利を有することの確認を求める部分、および主文第二項表示の限度で賃金、一時金、家族手当の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、なお仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤和男 裁判官 後藤一男 裁判官小圷真史は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官 伊藤和男)

〈以下省略〉

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